2021-01-31

「インターベンション・スキルズ」読書会

今朝は「インターベンション・スキルズ」の読書会に参加

前回に続いて「第5章 介入のタイプと深さ」

今日はその中でも「介入のタイプ」が中心でした。


一人で読んでいるだけでは、

至ることのできない世界に触れることができるのが

この読書会の醍醐味!


書籍の内容もさることながら、

場を共に作る皆さんの

「経験に基づく知見」から生まれる言葉に

刺激をもらうことが少なくありません。


「書籍になると、そこに『正解』があるような感覚で見てしまいがちだが、

話題提供の一つとして捉えていくことも必要かもしれない」

という発言もありました。

私もそういう感覚になりがちなので、ハッとさせられます。

原著は1994年。

対話型組織開発というより、

診断型アプローチ色が濃い印象ですので、

確かにそういう面が必要かもしれません。


また、本書では「介入の目的は、タスク達成とグループの成長」としているようです。

「GPCでは『介入はタスクに役立つものでなければいけない』とされる。

時間などの制約のある中で、どのように働きかけるか、

そこがTグループや自由な対話の場とは違うところ」

というコメントも、印象に残ったところでした。

※GPC:グループ・プロセス・コンサルテーション


ふりかえりと備忘を兼ねて、手元のメモを書き出してみました。

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場への働きかけにおいては、

特に相手の「受け取りやすさ」を大切にされている方が

多くいらっしゃって、刺激を受けた。


「事実ベースは受取りやすいが、

心の中での解釈には、反発が起きやすい」

決めつけや断定で「事実」にする介入は危険。

「事実」にしてしまわないで、

「何が起こってますか?」と問いかけるのは

確かに有効そうだ!


場に投げ掛ける推論が合っている必要はない。

投げかけから生まれた何らかの反応を扱えることが大事。

だから、深く推察するスキルよりも、場を扱えるスキルが求められる

これも大切にしたいコメントだった。


自分はどうかな、と内省すると、

テーブルの下にあるものを、テーブルの上に出して

グループとして扱う必要があると考えるところに

働きかけることを意識しているように思う。


働きかけるの焦点を、グループ→対人間→個人と

絞り込まれるほどに、高いスキルが求められるし、

リスクも高くなる

個人が対象となる場合は、その人の負荷も大きくなる


一方で、特定の2人がヒートアップすることもよくある

どこに介入するか?

グループ?当事者の対人間?個人?

東日本大震災後の支援準備の場での、

第3者への個人介入の体験談が紹介され、

なるほど!そういう介入もあるんだな、と新たな気付きがあった。


ファシリテーターが、場に働きかける時は、

場で起こっていることの一部を切り取っている。

どうしてそこを切り取ったのか?本人の違和感?

そこも「Use of Self」(自分を使う)なのだろう


自分が反応しやすいところに、意識的になっておくことで、

介入のレパートリーを広げることにつながるかもしれない。

自分の反応とは違うパターンも考えてみる


「エントリー」「契約」とのつながりで言うと、

GPC的な概念は伝わりにくいので、

最初に伝えて合意しても

理解されていないことも少なくない


「契約」は文書で明示されたものだけではない

研修プログラムからプロジェクトへと移り行く中で、

ファシリテーターの関わりを肌感覚で理解して

そのスタイル合意できるのが望ましいのかもしれない


関与先にペアでファシリテーターが入ることができれば、

相互フィードバックを通して、

関わり方のレパートリーを互いに育んでいくことができるだろう。

しかし、現実にはペアで関われる機会を持つことは簡単ではない。

関与先のメンバーの中に、

GPC的な視点からチームや組織を見ることができる人がでてくると、

お互いにフィードバックしながら幅を広げていくことができる。

可能性の広がりをイメージできる!

2021-01-26

認知から考えるシンクロニシティの正体

見たものが見えているわけではなく、

聴いたことが聞こえているわけでもない


これは、日常の生活の中でもよく起きていること

同じことを体験しても、

人それぞれに受け止め方(捉え方)が違えば

起こったことから五感を通して入ってくる情報も

違うことになる


五感は、自分の中にあるものに反応して、

外部からの情報として取り入れるのだから、

当然、自分自身に関連するものを拾う


しかも、拾った情報(データ)の中でも、

具体的で鮮明な表層的なモノに反応を繰り返す傾向があるため、

微弱にキャッチしているものを見逃していることが多い


微弱にキャッチしているのは、

「抽象的で不明瞭な感覚」に反応しているもの


「抽象的で不明瞭な感覚」とは、

自分自身の生き方とか、大切にしたいこととか、

あまり自覚的に捉えていないことに関する感覚


まだ自覚できていないが、芽を出そうとしている

自らのうちに秘めたモノであることが多い


ここに意識を向けて自覚(意識化)しはじめると、

五感は、

さらにそれに関連する情報(データ)をキャッチしやすくなる

そのため、

シンクロニシティが起き始めると

次から次に起こるようになる


何か目に見えない外部の力で

共時性(シンクロニシティ)の出来事が起きるのではなく、

五感を通して入ってくる日々の出来事の膨大な情報の中から、

自覚(意識化)されたことに関連する情報を

無自覚に選択して拾っている

というのが真相ではないだろうか


そして、その結果、

「微弱にキャッチした抽象的で不明瞭な感覚」は

より具体的な意識となり、形を持つようになって

生きざまに影響するようになる

「シンクロニシティを大切にすることによって、

人生が変わる」ということが起こる


その微弱なキャッチに至る

初動の感覚を発動させているものを、

「何か目に見えない外部の力」と

呼ぶ(捉える)こともできるかもしれないが・・・


シンクロニシティの現象は、

キャッチできていないだけで、常に起きている


キャッチできる感性を高めるためには、

まず自分自身が何を感じているのかを

感じ取ることに意識を向けるところから


2021-01-25

ふっと甦ってくる言葉 #1

 「特に意識して記憶している訳じゃないのに、

ずっと頭に残っている言葉、

ふとした時に甦ってくる言葉ってあるよねぇ」


1月21日に実施した「ブルネレスキの卵」のトライアルターム#1で、

最後の振り返りの場で他のチームから出てきたことば。


自分のチームではなかったので、

どんな文脈で生まれたのか詳細は分からないけれど、

終了後もこれが頭の片隅に残っていて、

自分にとっての「ふっと甦ってくる言葉」が浮かんできた。

これからも浮かんでくるかもしれないが、

ここ数日浮かんできた2つについて、ふりかえってみた。


●「お前が考えるようなことは、みんな考えてるんだ」

幼い頃、大人たちが作業している時に、叔父に

「ねぇねぇ、こうしたらいいんじゃないの?」

「お前が考えるようなことは、(大人は)みんな考えてるんだ」

と叱られた(?)記憶がある

恐らくその当時の状況からすると、

大人が取り組んでいることに小さな子供が絡んできて

邪魔になったんだと思うので、

悪気のある対応ではなかったと思う。

しかし、その時の幼い自分にとっては、

「みんな分かっているんだ。言っても意味がないんだ」

と、無力感を感じ、無意識のうちに

その後の自分自身を縛る言葉になっていたようだ。


数年後(といっても小学生)のある時、

何かの作業をしている父に

「どうして、こうしないの?」

と尋ねたことがあった

「あー、それは気づかなかった。教えてくれてありがとう!」(父)

みんな気付いていて選択しないんだと思っていたので、

逆に新鮮だった。

と同時に自分も役に立てるんだ、

という自信にもなったような気がする。


不思議なことに、両方ともに、

具体的な作業の内容などは全く覚えていない。


叔父の対応、父の言葉に良い悪いはないと思う。

私にとっては、叔父の対応があったからこそ、のちの父のことばが生きてきた。


それに、その時にどう受け止めるか、

その後にどう影響するかなんて

人によって違うので、

そこまで考えていたら、何も言えなくなってしまう。


両方ともに、必要な体験だった。

無駄なことは一つもない!


●求めよ、さらば与えられん

「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、開けてもらえるであろう」(新約聖書)

中学1年の最初の英語の授業で、先生が紹介してくれた。

先生自身がクリスチャンだったわけでもないと思うし、

中1になったばかりの私は聖書に触れる機会もなかったので、

その時は違和感しかなかったように思う。


が、特に「門をたたけ、そうすれば、開けてもらえるであろう」

というフレーズが妙に記憶に残っていた。


「さがせ、そうすれば見いだす」というのは、

自助・自力なのでよく理解できる。

「求めて、与えられる」「叩いて、開けてもらう」というのは、

自分だけではどうしようもないこと。

その不確かさを信頼して行動しなさいということに、

違和感を覚えたのかもしれない。


また、当時は自律・独立心が旺盛で、

親の庇護の下ではなく、自分で生きていける力が欲しい

と強く思っていた時期でもあったので、

依存するような文脈に捉えて、

違和感を覚えたのかもしれない。


もう少し掘っていくと、もっと深いものが出てくるかもしれない

・・・自分の中の新たなテーマになってきた。

ワクワク!


#ブルネレスキの卵


2021-01-22

職場における雑談の効用

 コロナ渦で、職場でも普段の何気ない会話がやりにくくなった、

と感じる人が多いそうです。


一見すると、無駄話がなくなって、

仕事が効率的に進むように感じるかもしれないけれど、

現実はそうではなさそうですね。


小さな行き違いが起こりやすくなったり、

立ち話で済むようなことでも文字で伝えることが必要になったりと、

ストレスと非効率が生じている場面も少なくないとのこと。


先日、ある友人が、オンラインでの会話の中で、こんな話をしてくれました。

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以前の会社では、ミーティングがとても多かった。

そこの社風で、最初の10ー15分は雑談的に

互いの近況を語り合うのが習慣になっていた。

アイスブレイク効果はあっても非効率で無駄だ、

と思われるかもしれないが、

これをしっかりやると、あとの仕事が早く進む。

直接的な情報だけでなく、周辺情報の共有ができるため、

そのミーティングの場・テーマに限らず、

「別件だけど・・・」と後で相談したり、依頼したり、

協力関係が生まれやすくなった。


最近は、オンラインになって、打ち合わせも用件のみで進みがち。

かえって非効率になっている印象がある。

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なるほどなぁ、確かにそういう面があるなぁ、

と思いながら聴かせてもらいました。


無駄を排除して目的に絞った取り組みは、効率的に見えます。

状況に高度に適応していくため、

変化の少ない環境下では確かに効率的ですが、

変化の大きな状況への対応には驚くほどの脆弱な面もあります。


人間関係や組織など、協力して物事を行っていく時や、

柔軟な対応が求められる流動的な環境では、

一見すると無駄に見えることが、

後から活きてくることが少なくないように思います。


頭で考える人は、無駄を排除した効率を求め、

経験で知っている人は、繋がりから生まれる効率を求める

前者は管理系の責任者に多く、

後者は経営者や営業責任者に多いような

そんな傾向を感じることもよくあります。


急がば回れではないが、近視眼的な効率を求めると、

かえって非効率になることもあります。

雑談にも寛容になれる気持ちも重要だと、

改めて心がけておきたいと思っています。

同時に、オンライン/リモートの時代に、

いかに雑談的なつながりを生み出せるか、

というテーマも浮かび上がってきたなぁ、と。


ロナルド・A・ハイフェッツの

「技術的な問題」と「適応を要する課題」にも

つながりそうな感覚が浮かんできたので、
また、気が向いた時に向き合ってみよう!

2021-01-11

【「介入」について】

  【「介入」について】


昨夜は「インターベンション・スキルズ」(W.レディ)の読書会に参加。

場所を問わないオンラインは便利です(^^)


グループ・プロセス・コンサルテーション(GPC)に関する本なのですが、昨夜のメインテーマとは別に、「介入」という言葉についての話題が出ました。


医療現場でよく使われるそうですが、GPCだけでなくファシリテーションでも使いますよね。


 以前にも、別の場で「介入」について同じような議論があって、個人的には「関わり」「働きかけ」「関与」「間に入ること」といった理解をしています。


「介入」という言葉は強い関与を示唆するので、個人的にはあまり好きではないのですが、無意識に自己内変換しているのか、感覚がマヒしているのか、最近はあまり気にならなくなっていました。


でも、大事なところだと思ったので、備忘を兼ねて記録です!


interventionの訳について、興味深いブログを見つけました。。。

https://plaza.rakuten.co.jp/peridot9/diary/200611300000/

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「インターベンション・スキルズ」とは・・・
( https://www.kanekoshobo.co.jp/book/b371569.html )


エドガー・シャインの「プロセス・コンサルテーション」がベースにはなっていますが、比較的大きな組織を前提としているため、ブレンダン・レディが小規模グループにおけるアプローチに絞って構成したものが「グループ・プロセス・コンサルテーション(GPC)」という考え方です。

「インターベンション・スキルズ」は、このGPCにおけるグループへの「介入」についての書籍です。


TグループなどのWSや研修を行っているJIEL(日本体験学習研究所)代表で、南山大学の名誉教授の津村先生を中心にしたチームで翻訳された本です。

JIEL主催の「グループ・プロセス・コンサルテーション」ワークショップも行われています。https://jiel.jp/seminar-list/seminar-list-cat/kouza06/


いま私が参加している「インターベンション・スキルズ」の読書会は、JIELのTグループなどに参加経験のある組織開発に関わる有志6名で行っているもので、こじんまりとした仲間内の勉強会のような感じです。


2021-01-09

高度な自己マスタリーに達した人

 「学習する組織」の基軸となる5つのディシプリンの一つ「自己マスタリー」


「学習する組織」(ピーター・センゲ,英治出版,第1版) 第8章 自己マスタリー(p.192-p.239) より、高度な自己マスタリーに達した人の特徴として挙げられている要素をピックアップしてみました。



○高度な自己マスタリーに達した人は・・・(p.194)

・人生において自分が本当に求めている結果を生み出す能力を絶えず伸ばしていく

・全力で打ち込んでいる

・物事に率先して取り組む

・自分の仕事に対する責任感も広くて深い

・学ぶスピードも速い


○高度な自己マスタリーに達した人の共通の基本的特徴(p.196-p.197)

・ビジョンと目標の背後に特別な目的意識がある

・「今の現実」を敵ではなく味方とみなす

・変化の力に抵抗するのではなく変化の力を感じており共に仕事をするにはどうしたらよいかをすでに知っている

・探究心が旺盛

・絶えず現実をますます正確に見つめようと努力を惜しまない

・他者や生命そのものと繋がっていると感じている

・それでいて独自性は全く失わない

・自分はもっと大きな創造的プロセスの一部でありそのプロセスには影響を及ぼすことはできても一方的にコントロールすることはできないと感じている

・学びに終わりはなく、決してどこかに「到達」することはない

・自分の無知を、自分の能力不足を、自分の成長させるべき領域を痛感している

・同時に十分に自信もある


○(ビル・オブライエンによる)「高い成熟度」に達した人には・・・(p.197)

・目先の満足を求めない度量の広さ
・他の人なら見向きもしないような目標を達成したいと志す
・自分の選択が後の世代に及ぼす影響を慎重に考える 

○(p.206)
・社会の主流から外れるビジョンであってもそれを守る勇気を持つ
「ビジョンと行動の間に髪の毛一筋ほどの隙間もない」



2021-01-05

「人材開発」「組織開発」・・・開発ってなんだ!?

 もうずいぶん前になるが、

「人材開発」「組織開発」・・・開発ってなんだ!?

と考え込んだ時期があった


自然開発、都市開発、技術開発、システム開発、

商品開発、店舗開発、経済開発、宇宙開発、

開発政策・・・・古くは、新田開発など

「開発」という言葉には、意図的な人工的な匂いを感じてきた


そして「人材開発」「組織開発」

人や組織を「開発する」という表現には

なにか人や組織をモノとして扱うような違和感を覚える

対象物を、こちらの思惑通りに支配・コントロールする意図を感じるからかもしれない


「開発」=開き発する

どういう意味なんだろう?どんな経緯で生まれた言葉なんだろう?


調べてみると、仏教用語の「開發(かいほつ)」 の由来するらしい


すべての人の中には「仏性(ぶっしょう)」という仏の性質があり、

その内に秘めたものを開き起こし、表れるようにすること

といった意味のようだ。


その人が本来持っている可能性を引き出して、それを活かせるようにすること

であれば、「人材開発」「組織開発」にピッタリだ!


とてもスッキリした気持ちになった。


でも、一つ霧が晴れると次の靄があらわれる


それでは、英語の ”Human Development”  ”Organization Development” の ”Development” はどこから来たのだろう?どんな意味なんだろう?


development は develop の名詞形だから develop を調べる


包み(velop)を解いて(de)姿をあらわすが原義らしい

対義語は en-velope(包む、おおう、おおいい隠す)


包みを解いて中身があらわれるので、そこから「あらわれる」「明らかになる」

更には、現像、発達、発展、発育といった意味が出てきたようだ


こうしてみると”development”も「開發(かいほつ)」と同じことをあらわしてるようだ


「人材開発」「組織開発」とは

人や組織が本来持っている潜在的な可能性(ポテンシャル)が、明かに表れる(顕現する)こと


とてもスッキリした!!


そのためのサポートをしたい、という思いから、今の仕事に取り組んでいる

そうだった!

良いふりかえりになった(^^)


2021-01-01

【2021年 年頭にあたり】

新年あけましておめでとうございます。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。


昨年をふりかえると、

多くの皆様とのつながりの中で、今の自分があることを感じます。

いろいろな方に、様々な形で、大変お世話になりました。

ご縁をいただいた皆様、本当にありがとうございました。


コロナ禍の中にあったからこそ、

・生まれた出会い・つながりがたくさんあった!

・新しくチャレンジする機会が増えた

・立ち止まって「当たり前」を考える機会が増えた

・自分と向き合う時間が増えた


一歩二歩と進むたびに、新たな気付きや感覚と共に、

知らなかった未知の世界への扉が開いていくので、

いつまで経っても、わからないことがどんどん増えていく感じがあります!


そして、本年2021年に意識を向けた時、

仕事なのか趣味なのか、必要なことなのか必要でないのか

いろいろなものが混然一体となった曖昧な感覚の中で、

また新たな1年を過ごしていくことになりそうな気がしています。


一方で、100年前のスペイン風邪のパターンと

ウィルスの変異回数の上限説を根拠に、

今年前半までは、新型コロナの影響が大きいだろうと見ています。

(その後は終息してくれると嬉しいですが・・・)


また、火山&地震、豪雨や台風などの自然災害への備えも欠かせないように感じています。

米中関係はじめ、国際情勢も荒れてくる可能性が高いでしょう。



そうした社会環境の見通しに緊迫感を持ちながらも、

既につながりのある皆さま、

これから新たにつながる方々とのご縁の中から

どんな1年が紡ぎ出されていくのだろうか、と

まだ生まれていない未来に、

未知なるものへの不安のような小さな緊張と、

楽しみでワクワクするような感覚があります。


「今年は○○をやる!」というよりも、

人生を味わう旅の中で芽生えてくる「やりたい想い」を、

形にする実践を大切にしていきたいと感じています。


今はまだ、どんなことかははっきりとは分からないけれど、

いろいろな取り組みにチャレンジしていきます!


2021年も、どうぞよろしくお願いいたします。

ブログタイトル変更

   

ブログタイトルを変更します

「人、組織、関係そしてメタノイア」を「ブルネレスキの卵」に変更しました


人生や生き方、仕事、内面の動きなどをテーマに、

日々の何気ない中で、あれこれと心に浮かぶままに思うこと、

見聞きしたこと、気軽な自分の意見などを、

筆にまかせて自由な形式で、書き綴っていきたいと思っています


そして、「人」「関係」「組織」に関する少し専門的なコラムは、

別枠でまとめていきたいと考えています


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ブルネレスキは、コロンブスと同時代のイタリアの建築家

「ブルネレスキの卵」とは「コロンブスの卵」の逸話の元ネタとも言われるエピソード


「気づけば誰でも出来ることでも最初にやるのは難しい」という教訓と、新たな誕生の象徴としての「卵」という表現を活かしてみました


様々な可能性、ポテンシャルが孵化していくためのお手伝いができれば

そして、その中で自らも学び成長していきたい

という私の想いも込めています


さらには、2021年の干支の「丑(うし)」と「ブル(レネスキ)」を掛けてみたのですが・・・

ちょっと強引ですかね~(^^;;

【10月スタート】2つのダイアローグの取り組み

 10月からダイアローグ(対話)の2つの取り組みをスタートします 仕事以外にこんな活動もやってるよ、というご案内と、10-12月はちょっと忙しくなるかも、という言い訳を兼ねて。以下、長文です。 ライフワークのように取り組んでいるダイアローグ(対話)に関して、来月から2つの取り組み...