2021年7月31日土曜日

「受け取る」という選択、「受け取らない」という選択

対話の場において、語り手の話をどう受け取るか、聴き方について探究することはありますが、「受け取らない」ことがテーマになることはあまりないように感じます。

聞き逃したり受け止められずに「受け取れない」ことはありますが、自覚的に「受け取らない」ことを選択することはあるでしょうか?

私たちの日常生活の中の会話には、相手への評価や判断、時に批判や攻撃的な表現が含まれることもあります。質問の形を取っているけれども、相手を責めていることすらあります。

それらのすべてを真摯に受け止め受け容れていると、聴き手の心に大きなダメージを生じることがあります。

ここで思い出すのは、ブッダのエピソード
「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、その贈り物は一体誰のものだろうか」

私たちは「受け取る」ことと同じように、「受け取らない」ことを選択することも可能なのです。

対話の場において、相手の基準で評価判断されて苦しく感じるのであれば、「私は、今のことばを受け取れませんでした」でも良いように思います。

また、相手の話を聴いた人は、コーチングのように何かを引き出そうとする必要もないし、自身の判断基準や価値観でこうした方がいいとアドバイスする必要もないと思うのです。

「自分が同じ立場だったら、こうしたかもしれない」「話を聴いて、こんなことを感じた」
と自分自身の中で起きたことを言葉にすることで、語り手とは異なり視点や捉え方が広がっていく。

一見すると独白のように、各人が感じたことが並んでいく。
それらに触れて、お互いに自らの中に気づきが生まれる。

そこに、相手への操作的な意図や感情は不要ではないかと思うのです。

対話が極めて素朴でシンプルな形をとることができる場では、一人ひとりの中に深い気付きが生まれるのかもしれません。


#対話
#ダイアローグ
#評価
#受け取る

2021年7月30日金曜日

ファシリテーターを育てる

 異なる考えや意見の交流の場において、ファシリテーターの関わりいかんで、場の生産性が大きく変わることは広く知られるようになってきました。


ファシリテーターへの需要は今後も広がっていくと思うのですが、その育成は簡単ではないように感じています。


会議や話し合いの場が上手くいかないことに突き当たって、ファシリテーションを学び始める人は少なくないようです。

良い場づくりのために、自分勝手な人や「声の大きい人」を黙らせて「思い通りに場を創りたい」=「相手を操作したい」という動機で取り組んでいる人を時々見かけます。


しかし、これでは立場が入れ替わるだけで、同じ状況を再生産することになりかねません。

こういう場合、ファシリテーターの育成の場において、先に使える「ファシリテーションの道具」をどんどん渡すと、かえって共創とは程遠い操作的な場が作られていき、一人ひとりを大切する関係にはならないのではないか、という懸念がありました。


そのため、ファシリテーターとしての人材を育成するためには、まずは互いに敬意を払い、誰もが参加できる場を創るなどのファシリテーション・マインドを伝え、理解いただくところから始めた方がいいと考えていました。

ところが、対人関係の姿勢は、長年培われてきた経験に基づいたその人の人間観に根差しています。

これは、その人がどんな人生を送りたいのか、どんな人間関係を築きたいのかに深く関わっているため、簡単には切り替えられない難しさも感じてきました。


一方で、

・「人材を育成する」なら、その人が独り立ちできるようにあらゆる支援をする

・概念的なものを伝えるよりも、みんながどんどん使えるように「道具」を手渡す

・講師の満足や達成感のための時間に付き合わされる受講者は本当に可愛そう

との指摘もあります。これももっとだと思います。


スキルとマインドはどちらも大切で、一方だけではまさに「片手落ち」なので、バランスを図りながら、螺旋を描くように両方を学んでいただくような関わりを模索していきたいと思っています。


ーー

以前、ファイナンシャル・プランナーの学びの場でも同じことを感じてきたことがあり、少なからず既視感を覚えています。。。


#ファシリテーター

#育成

#マインド

#スキル #道具


2021年7月20日火曜日

枠組みを外して考える

昨日の関与先との打合せでの話。


「指示待ち&目先の対処の風土、新たなものを創り出す経験がない。

枠組みを外して考えることができない」と、自組織についての分析コメントをいただいた。


「枠組みを外して考える」


枠組みを外すためには、どんな枠組みがあるのかに気づく必要があるが、組織の「当たり前」に気づくことは、簡単ではない。


暗黙の前提になっていることに光を当て、言葉として浮かび上がらせることができるだろうか。


社会において、また自分にとっての「当たり前」を疑ってみるところから始めてみると、意外とおもしろい発見や気づきがあるかもしれない。

2021年7月18日日曜日

PC不調、ようやく解消!

1カ月くらい前から急にPCが重くなって、オンラインでのミーティングに支障が出ていました。
 
・大容量のデータを外部に退避
・セキュリティソフトの調整
・デバイスのドライバチェック
・ブラウザ拡張機能の削除
など、問題となりそうなところを1つずつ潰していっても、なかなか抜本的に改善せず、もどかしい思いをしていました。
 
PCのスペックは問題なさそうだったので、最終手段として初期化することも想定していました。
 
バックグランドアプリを選択して無効化、常駐プログラムを外して、電源オプションで最小プロセッサの状態を引き上げて、ようやく問題解消。
 
感覚的にはバックグラウンドアプリの問題だったように感じましたが、相性の悪い複数の要因が絡んでいたのかもしれません。
 
いずれにしても、オンラインでのやり取りがメインになっているだけに、PCの不調は致命的なことを改めて実感。
 
移動時間無く、オンラインでミーティングやイベント参加ができるのはPCのお陰。
サブPCも用意しているとはいえ、資料やデータを共有しながら使うことも多いため、メインPCの利便性には及ばない。何とか解決できてホッと一息です。
 
せっかくなので、これを機にメモリ増設くらいはしておこうかな。

2021年7月11日日曜日

「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ」(2) 第2章

予定が重複して本日の ナラティヴ・セラピー・ワークショップ」(国重 浩一著)の読書会に参加できなかったので、第2章を一人で読む。

とても興味深くて、読んでいるうちに引き込まれる!


第2章 ナラティヴ・セラピーの特徴的な技法とは?:外在化する会話法

◆自分の理解のための独断的な要約

私たちの会話は、その場や話してる相手の影響を受けて成り立っている。

何か失敗して、怒られるとき、どちらの立場の人も「好きでやってるんじゃない」と感じている 。

日常によくある「どうしてそんなこと(遅刻、忘れた、怒ったなど)したの」という問いかけは、自責の念や反省を促したり、反発を誘うだけの会話になる。ナラティヴ・セラピーでは、その枠組みから離れるために「何があなたをそうさせているのですか?」という問いかけに代表される「外在化する会話」に誘(いざな)っていく。

伝統的な心理学では人それぞれに固有で固定的なパーソナリティー・性格・人格が内在しているとみなし、それを性格検査などで判断する。一方、ナラティヴ・セラピーでは人は様々なパーソナリティを持てる存在と捉え、その場に応じた役割を演じ、適したことができる存在とみなす。

日常会話も専門家の言葉も、社会で認められた言葉や表現を繰り返し使用すること(=「再生産」)によって、 「真実」「当たり前」になっていく。何気なく使う言葉の再生産、つまりそのように語られる枠組みが繰り返されることによって「その問題」はずっとそこに留まり続ける。困った状態(問題)を本当に変えたいのであれば、再生産ではなく違ったように語り始める必要がある。

例えば、「問題行動を繰り返す人」「落ち込んでる人」に対して、あたかもその人の内面にある要因でそうなっているとみなすように「語る」のではなく、「社会文化的な要因の影響を多分に受けてる人」とみなして話をしていく。

支援・援助・アドバイスなどを提供するカウンセラーと、それを受けるクライエントとしての立場で語り合えば、その立場からのことばが紡がれる。

ナラティヴ・セラピーで目指すのは、自分の人生について最もよく知っている人に、「私の理解を助けてください」「教えてください」と相手がより知っているという前提で、自分よりも上の存在に対して話を聞くように関わっていくことで、語り手の位置付けを変える文脈を提供すること。

相手にどのような文脈で語ってほしいか 、どういう立場から語ってほしいのかを踏まえて関わっていく。

今の問題の原因を過去に探すアプローチでは、何度も繰り返し語られ、強化され、固定化されていき、(過去に起きた事実は変えられないので)将来にわたってずっとそうだという因果関係に基づくメインのストーリーライン(支配的な物語)が成立してしまう。

ナラティヴ・セラピーでは、例えば支配的な物語に矛盾するような出来事など、その中では漏れ落ちてしまっている話を尋ねていく質問を用いて、その物語をほぐしていく。

ーーー

◆所感など

●社会で認められた言葉や表現を繰り返し使用することによって 「真実」「当たり前」になっていくという「再生産」の説明は、プロセスワークのコンセンサス・リアリティを彷彿とさせる。

●「お元気ですか」などの挨拶のことばは、状況の詳細について尋ねているわけではなく、応える方もその場に適した、妥当だと思うことを話していて、しっかり自分の気持ちを反映させているか否かはコミュニケーションの目的ではない。(p52-53)

言い切ったなぁ、という印象。

挨拶は「あなたに意識を向けてますよ、関心を持ってますよ」というメッセージであり、応答は「ありがとう」という返信のような感じかな。

●「信じている、本当だ、当たり前、誰もがそう思っている、と考えられることをちょっと怪しいな、と思って眺めてみる」(p55-56)

→ 自分自身もこのタイプだと思うけど、周りの方から見たら、変な人、嫌な人だろうなぁ、と。。。

●アドラー心理学との関係についてのメモ

・「私を怒らせないでちょうだい」(p52)

 叱ることの目的は?と捉えるアドラー心理学/目的論、使用の心理学から捉える

 自分の「ライフスタイル」を意識してみるが、自分を責めることにもなりかねない

・再生産(p55)=アドラーのライフスタイルに近い?/繰り返し行われてきたこと

 →「そのようなことがあったにもかかわらず・・・」に似ているかも

 


#ナラティヴ

#外在化

#支配的な物語

#社会構成主義

#アドラー


2021年7月7日水曜日

ダイアローグ(対話)のマインドを日常に!

 ■ダイアローグ(対話)のマインドを日常に!

ダイアローグ(対話)の持つ魅力と可能性に惹かれて、長年、様々な対話の取り組みを行ってきましたが、対話の場を開くだけでは限界があることも感じてきました。

どんなに良い場が持てたとしても、そこは非日常の世界。

様々な相手と接する日常の生活の中では、ほとんど活かされないことに、無力感を覚えることも少なくありませんでした。

そこで今年は1月から、日常で活かせる対話のあり方を求めて、2つの取り組みを行っています。

●対話の土台を身につけるための「対話のきくはなすを学ぶ場」(毎月1回)

 6月までのSeason1では、自分自身の聴き方をテーマに取り組んできました。
 7月からのSeason2では、価値観の違いをテーマに、取り組んでいきます。
 オープンダイアローグの領域で精力的に活動されているクロちゃん(西岡望さん)と共に開く場です。

●対話の力を日常の歩みの推進力とするための「キセキ(軌跡)のダイアローグ」(隔週1回)
 自らの内面・外面の歩みを言葉として発し、また他者の視点からのコメントを通して、新たな気付きや意志が生まれ、次への歩みの活力となる体験を重ねてきました。
 3カ月を1期(ターム)として、場を共にする仲間との関係の深まりも大きな魅力の一つとなっています。
 6月までは Masami Okabe さんと共に場をつくってきましたが、7月からの第2期は、参加された方々が運営を支えてくださる流れになりました。

共に、ダイアローグ(対話)の取り組みとして、とても大きな手応えを感じています。

今月から、新たな歩みがスタートしますので、参加者を募っています。
「対話のきくはなすを学ぶ場」(価値観の違い編)
  7月21日(水)~ 6カ月 毎月第3水曜19:30~ (スポット参加可)
「キセキ(軌跡)のダイアローグ」(第2期)
  7月15日(木)~ 3カ月 隔週木曜20:00~ (7/11まで早割あり)

よろしければ、ぜひご一緒しませんか。 #対話
#ダイアローグ

2021年7月6日火曜日

クリティカルシンキング(2) 読書会スタート 第1章

 不思議な流れで、昨夜から「クリティカルシンキング」の読書会がスタート。

第1章を担当させてもらいました。


<備忘メモ>

・「クリティカルシンキングは『批判的』じゃないよ」と繰り返し指摘されている
 社会構成主義的!ナラティブでいう「言葉(名称)の影響力の大きさ」を感じる

・「原則」という考え方はパターン・ランゲージに似てるかも

・原則①:(クリシンの)態度、知識、技術が大切で、特に態度は最重要
 これは、対話や傾聴、ファシリテーションなどにも共通するように感じる

・原則②:行動の原因を考える時、状況の影響を過小視しがち、個人の影響を過大視しがち
 「基本的帰属錯誤」からの原則だけど、ホントに日常的によく起きている
 システム思考にも通じる気がする。「木だけじゃなく、森も見ようね」ということか


「受け取る」という選択、「受け取らない」という選択

対話の場において、語り手の話をどう受け取るか、聴き方について探究することはありますが、「受け取らない」ことがテーマになることはあまりないように感じます。 聞き逃したり受け止められずに「受け取れない」ことはありますが、自覚的に「受け取らない」ことを選択することはあるでしょうか? 私...