2021-08-01

「受け取る」という選択、「受け取らない」という選択

対話の場において、
語り手の話をどう受け取るか、聴き方について探究することはありますが、
「受け取らない」ことがテーマになることはあまりないように感じます。

聞き逃したり受け止められずに「受け取れない」ことはありますが、
自覚的に「受け取らない」ことを選択することはあるでしょうか?

私たちの日常生活の中の会話には、
相手への評価や判断、時に批判や攻撃的な表現が含まれることもあります。
質問の形を取っているけれども、相手を責めていることすらあります。

それらのすべてを真摯に受け止め受け容れていると、
聴き手の心に大きなダメージを生じることがあります。

ここで思い出すのは、ブッダのエピソード

「もし他人に贈り物をしようとして、
 その相手が受け取らなかった時、
 その贈り物は一体誰のものだろうか」

私たちは「受け取る」ことと同じように、
「受け取らない」ことを選択することも可能なのです。

対話の場において、

相手の基準で評価判断されて苦しく感じるのであれば、
「私は、今のことばを受け取れませんでした」
でも良いように思います。

また、相手の話を聴いた人は、
コーチングのように何かを引き出そうとする必要もないし、
自身の判断基準や価値観で
こうした方がいいとアドバイスする必要もないと思うのです。


「自分が同じ立場だったら、こうしたかもしれない」
「話を聴いて、こんなことを感じた」
と自分自身の中で起きたことを言葉にすることで、
語り手とは異なり視点や捉え方が広がっていく。

一見すると独白のように、各人が感じたことが並んでいく。
それらに触れて、お互いに自らの中に気づきが生まれる。

そこに、相手への操作的な意図や感情は不要ではないかと思うのです。

対話が極めて素朴でシンプルな形をとることができる場では、
一人ひとりの中に深い気付きが生まれるのかもしれません。


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