2019-04-08

黙認賛成の罠-ファシリテーターとして留意したいこと-

話し合いの場をオブザーブしていると、2~3人の意見で、何となくふわっと決まったような感じになる場面に接することがある。

「反対じゃない人」が多い時は、
黙ってしまって、何となく頷いているのだけれど、誰も何も言わない。
こういう時、こういう場は曲者!

賛成理由も含めて、誰もあまり何も言わない。
進行時間を配慮してなのか、質問も出ない。

実は、これは意外と多い。

「えっ、さっき(休憩の時に)少人数で話していたことと、(前提が)違うけどいいの?」
と突っ込みたくなることさえある。

雰囲気的には賛成多数の感覚なので、
進行から「これでいいですね」と確認が入っても、
違和感はないし、誰もNoとは言わない。
黙って頷く人が多いので、決定事項とされる。

こういうときは、決定はしているのだけれど、
決定の理由や背景の認識は共有されていないことが多い。

同床異夢

そして、実際にあとから違和感を覚える。
結果として、動き出してから、その周辺の前提が蒸し返されることも少なくない。


決定内容について、どうしてそのように決まったのか自分の言葉で説明できるだろうか?
それができるか否かで、その後の実際の活動がどのように展開されるか、大きな差が出てくる

まだ反対意見や異なる意見が場に出ている時は、
提案側も理由も含めて説明しやすいし、参加者も背景をより理解できる。
声が上がると、尋ねやすく感じるのか、若干の意見もあがる。
こういう場の方が、決定後の行動でのトラブルが少ない。


YesでもNoでも、その理由を伝える文化があまりない組織が多いのかもしれない

結論は同じでも、その背景の想いや前提が異なることは良くあるし、
逆に結論は異なっても思いは同じということも少なくない。
お互いの背景を知っておくと、その後の調整もしやすくなる。

少なくとも、話し合いの進行役を務めるファシリテーターは、
話合いの最後の決定事項の確認の時は、項目確認だけでなく、
その目的や背景・理由も再確認することにして、
自身の中でもしっかり把握することを意識した方が良いだろうと思う。

そして、それが明確ではないと感じた時は、場に問うてみることも必要だろう。

2019-04-06

なぜ「対話」は「イノベーション」をもたらすのか

「対話を通して、イノベーションを生みだそう!」

対話や組織に関わる人は、少なからずどこかで聞いたことがあるのではないだろうか

「成功の循環モデル」(ダニエル・キム)のように、
関係(関わり合い)の質を変えることで、
そこから生まれる成果の変化を生み出そうとする試みは
増えているように感じる

対話のどのような性質が、イノベーションにつながるのか?
それは具体的には、どのようなプロセスで生まれるのか?
そして、そのために、どのような対話をすればいいのか?


対話では、意見やアイデアの勝ち負けを決めて、
1つに絞り他を排除することを指向しない

相手の話にじっくりと耳を傾け、
自分の意見や主張、価値観を脇に置いて、
評価・判断を保留する

「正しい/正しくない」「優っている/劣っている」という判断軸を外す


そこから、各々の内側にある感性や創造性があらわれ、
第3の方向としての新しいアイディアが生まれやすい

こんな感覚を持っておられる方も、少なくないだろう

しかし、これだけでは不十分






2019-04-03

「出現する未来」を読み返す 「第5章 生成の瞬間」

「出現する未来」を読み返す 「第5章 生成の瞬間」

2001年4月 オットーの自宅にて

複雑な現実を理解する上でシナリオ・プランニングの果たす役割

「無意識のうちに人は一つのシナリオを想定して行き詰まることが多い」
「地球上に生きる人類は何者なのかという点で、一つのシナリオに固執して行き詰まっている」(ベティー・スー)

「われわれの仕事の第一歩は、人と人がもっと深く知り合い、課題や目的意識を共有する手助けをすることではないか」
「複数のシナリオを考えることによって、無意識の想定への個室から解放される」(ピーター)

集団のなかで何かが変わる『魔法の瞬間』について

●南アフリカの事例
・80年代半ば~ アングロ・アメリカン・コーポレーション主導/黒人は蚊帳の外
 シナリオ『低い道』アパルトヘイト政策を続け世界から孤立
 シナリオ『高い道』アパルトヘイトに終止符を打ち、世界の一員として復帰
 ⇒ 国民の間で2つのシナリオについての議論、影響について考える
   未来のシナリオは自分たちで選べるのだ、という考えが強まった
・91-92年 モンフレールのシナリオ アダム・カヘン/シェルが資金協力
 『オストリッチ』白人の現政権が問題に正面から取り組まず、砂に頭を突っ込む
 『レイムダック』黒人政権が誕生するものの、憲法で制約を受け、手足を縛られる
 『イカロス』新政権が大胆な経済改革を実施、土地と企業の国有化、経済システム破綻
 『フラミンゴ』なかなか飛ばないが、飛ぶときは一斉に飛ぶ

明らかに参加者の考えが変わり、心が開かれた瞬間があった
数多く行われてきたシナリオ・プランニングと何が違うのだろう?
「小さな集団でも、全体の目的を深く結びついた時、全体を代表する縮図になり。全体を変える力を持つのだと思う」(オットー)

●ビジョン・グアテマラ アダム・カヘン
 36年間の内戦、20万人が『消された』/人口800万のうち50%はマヤ・インディアン
・『魔法の瞬間』
 初対面で、敵対していた人たちが目的を共有できた秘密は、5分間の出来事
 内戦時、地方のマヤ族の村での大量虐殺の墓の発掘から殺された妊婦と胎児の骨
 「その瞬間、共通の意思と目的意識が明らかになり、なぜそこにいるのか、何をすべきなのか、全員が理解した。自分たちがおかれた現実を、その内側から深く見つめたようだった」(アダム)
・「われわれはアイデアを持ち寄ったのではない。目的を持ち寄ったのだ。われわれは合意した。そして決定した」(マヤの聖典「ポポル・ブフ」の一節)

一瞬、静まり返った。言葉がなかったのではない。理解が訪れたのだった。

●『静寂があるところでのみ、真のコミュニケーションが成立する』(クリシュナムルティ)
・生涯をかけて「静寂を聞く」ことを学ばなければならない
・心が開かれ「内側から」見ることができる
・誰もが目的を垣間見ることができる
・起ころうとしているのにふだん気づかない何かが聞こえ、目に見え、理解できる
・自分とつながっている大きな現実は、開かれ、立ち現れる。
・自分もその出現する現実の一部、出現する未来は自分次第で決まる、繋がっている
・受け身じゃない、積極的に関わっていく部分が大きい

もう一つの時間の流れと一体になるには

●オットー家の築350年の農家の火事
・炎が自分の中に溶けていく
・時間の進み方が遅い
・火事で焼かれたものにどれだけ愛着を持っていたか

自分という存在は、火事で亡くなったわけではない。見る側だった!
・過去とは無関係の次元の自分
・時間が完全に止まった
・意識が広がり、これ以上ないほど明晰になった
・焼け跡でくすぶっている夥しいモノと繋がっているわけではない
・長年愛着を感じてきたものは、実は重荷になっていた

何もかも失くしたその瞬間、突如として解き放たれ、別の自分に会える気がした
その自分が僕を未来にー僕の未来に連れて行ってくれた
自分が生きることで実現する世界へと連れて行ってくれた

やさしく未来の可能性へと引き入れてくれたもうひとつの時間の流れと一体となるには、何が必要なのか

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シナリオ・プランニングの中でも、
全体の目的と深く結びつく「魔法の瞬間」は
意図して創れるものではないだろうが、
『静寂を聞く耳を持つ』ことは必要条件かもしれない。

この体験からの探求が
オットーをジョセフの元への導き、この場を創った。

今日はここまで。





2019-04-02

「出現する未来」を読み返す 「第4章 心で見る」

「出現する未来」を読み返す 「第4章 心で見る」


この章のメインのストーリーは、
ジョセフ・ジャウォースキーの
メキシコのバハ・カリフォルニアでの
2週間のキャンプでの体験。

4日間の予備訓練、
7日間のソロ・キャンプ、
3日間の共有と振り返り。

さて、本文からキーワードをランダムに抜き出してみる
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ブライアン・アーサー:イノベーションに伴う『内側からの知』
エレノア・ロッシュ:『心の奥底の源』にユニークな知の方法がある
腸と心臓にある第2、第3の「脳」 → 『腑に落ちない』『心でわかる』

「自分が感じるあらゆることへの愛と感謝」
「深い共感」
「十一方位の儀式」
「三日間の断食」
「ビジョン・クエスト」

「いま直面している問題が根深いのは、
 人と人の関係だけでなく、
 人と自然の関係が失われているからだ」

「自然を外部として捉え、
 自分と切り離して考える還元主義に陥っている
 これを共生の関係に変えなければいけない」

「存在にすら気が付いていなかった
 境界(深い意味での断絶)が取り払われた」

ジョセフ・キャンベル (『神話の力』をまとめたとき)
「人が未知のものに命をかける理由は・・・・
 自己と他者が一つの命の別の現れであることに気づくからだ」

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ジョセフ・ジャウォースキーは、 「出現する未来」以外にも「シンクロニシティ」「源流」などで、 自然の中で過ごす時間についての自身の体験を述べている。 自然の中で人と接しないソロキャンプ「BeingSOLO」(佐々木薫さん主催)
に参加した時のことを思い出す。
10年近く前にジョセフの本に触れて、 その後に佐々木薫さんと出会い、 2014年から3年続けて奥多摩や南小国(熊本)でのSOLOに参加した。
それまでの私は、
「自然」を
自己の外部のものとして、
かつ自己の基準で見ていた。
「自然」は「私」とは分断されたものだった。

「自然」に向き合うといっても、 街の中で頭で考えるのと、 その中に入り込んで感じるのとでは、 まったく違ったものが見えてくる。
「自然」の中に入って向き合うと、
心が開かれて、感じるものが違ってくる。 自然の捉え方、自然との関わり方が変わる。深い内省が生まれ、 そこからの広がりが、新しい自分を創っていくような感じだろうか。


これは、知識として頭で理解するものではない。
体験して、味わって、
初めて「腑に落ちる」感じがする。

2019-04-01

新元号「令和」の発表


4月1日11時半過ぎたころ

「そろそろですかね~」と隣の席から声がかかる。

「あぁ、もうそんな時間。混まないうちに、少し早めにお昼に行こうか」

「違います。新元号の発表ですよ」

その少し後に、新元号は「令和」と発表された


新元号にはほとんど関心がなかったので、 勘違いしてしまって
ちょっと恥ずかしい、こんなやり取りになってしまった


しかし、いざ目にすると、途端に関心が向く。
「『令和』、命令の『令』か・・・」
正直なところ、違和感が先に来た
直ぐに字源で「令」の意味を調べる
原義は「(神からの)お告げ」

恐らく、そこから転じて
①上位者による指示(命令)
②良いこと(令息、令嬢)
の意味が派生したのだろう。

やがて原義は忘れられ、派生した意味だけが残っていくのは、世の常か。

出典は、万葉集とのこと。
大宰帥(だざいのそち)大伴旅人の邸宅で
梅花の宴に際し、詠まれた歌の序として記されたという

福岡に縁ある者として、何となくうれしい気持ちになる

出典の意味を調べていると…
福島県の郡山万葉植物園には、この出典が表記された標示板があるみたいだ。

 
さて、防人(さきもり)の詩でも知られる万葉集の時代は、
朝鮮半島からの侵攻に備えて、防人が配置された

基肄城、鞠智城などの古代山城や施設が設けられた時代

昨今の日韓関係が重なって見えるのは気のせいだろうか
Wikipedeiaによると、実際に8世紀から10世紀の初めにかけて、
しばしば新羅の海賊が九州を襲った(新羅の入寇)ようだ

といろいろと調べながら、考えを巡らせているうちに、昼の休憩が終わった


「『和』の時代になるよ、というお告げ(『令』)」であって欲しいと願う

【10月スタート】2つのダイアローグの取り組み

 10月からダイアローグ(対話)の2つの取り組みをスタートします 仕事以外にこんな活動もやってるよ、というご案内と、10-12月はちょっと忙しくなるかも、という言い訳を兼ねて。以下、長文です。 ライフワークのように取り組んでいるダイアローグ(対話)に関して、来月から2つの取り組み...