2020-08-21

◆2つのメモ◆

 ◆2つのメモ◆

部屋の書類を片付けていたら、古いメモが出てきた

こんなことを感じていた・考えていたんだと、

我がことながら刺激を受ける


●ラマナ・マハルシに関するメモから

「本当の私はこれではない」

「これは誰か」「私は誰か?」

「私はあなただ」

自分の中にある複数の「私」に向き合うきっかけになった。

いつもできるわけではないが、

「いまの私は本当の私か?」「いまの私は誰か?」と自問することで、

流されている自分自身に気づけることも多い。

そして、そう問いかける「私」の存在を感じる。


●2016年南小国でのBeingSOLOの振り返りメモより

「五感の刺激による思考の反応(反射)を閉じて、

 流れているエネルギーを感じることも閉じると、

 空洞の何もない自分を感じる(断絶)」

「五感の刺激による思考の反応(反射)を閉じて、

 エネルギーの流れに感性を開くと、

 穏やかな充足感・至福感(自然とのつながり)」 

「私自身だけ」をいくら探究しても、そこからは何も出てこない


関りとつながりの中で、

意味ある存在として立ち上がってくるものがあることを実感として体験する機会となった。

そして、これは意識を向けることで、もう一度再体験できるメモだった。


2016年は熊本地震があった年。

私にとって3回目のBeingSOLOの体験は、

前年と同じ山での実施だったが、

現地に至る山道は地震で崩れたままで、

大きく迂回して入った。


開始前には阿蘇山が噴火し、

腰痛に苦しみながらの参加で、

初日の夜は激しい雨だった。


それでも前2回とは違う意味を持つもので、

目を閉じて意識を向けると、

今でもその時の情景と感覚が鮮明によみがえる。



2010年、

「出現する未来」や「シンクロニシティ」(ジョセフ・ジャウォースキー)に描かれた野外体験に魅かれながらも

「それを体験することは無理だ」と思っていた。

不思議な巡り会わせで、

2014年に奥多摩でのBeingSOLOに初参加、

翌15年と16年は熊本・南小国での体験。

毎回気付きが深まっていった。



こうして、10年越しに振り返ってみても、不思議な感じがする。

久しぶりに「シンクロニシティ」を読んでみようかな。。。

2020-06-20

プログラム作りの苦悩

仕事がら、研修やワークショップのプログラムづくりに携わることは少なくない。

過去の使いまわしはしたくない
目的から考えて、最も納得できる形を模索したい

そういう姿勢は誇りでもあるが
非効率で時間がかかる作業を選択することでもある
面倒でエネルギーを消耗する
逃げ出したくなる

切羽詰まって、追い詰められて、
逃げれない状態になった
やっと覚悟が決まる

エンジンがかかる
乗ってくる
先方との調整までの時間が迫る


そして、時間切れ
もう少し手を入れたかったのに・・・

先方に、直前まで微修正を重ねることを承諾いただく
結局、実施の直前まで徹夜に近い形で
修正を重ねていく

この繰り返し

実施が終わると
蓄積した疲労とエネルギー切れ状態


時間に余裕のある段階で取り組めばいいのだが、

しかし…まだ時間のある段階では、
別の案件に意識が向いていることも少なくない


並行して進まざるを得ないのだが
そんなに器用ではない

焦点が定まらないまま
気持ちだけ焦る時間が流れていく
なかなかプログラム開発に没頭できない


これが最大の原因

そして、いま
複数の並行案件を抱えながら
思考停止状態

どれも進まない

時間はまだある
が、刻々と少なくなっていく

逃げたくなって、こんな文章を書いている。。。

2020-06-03

【死と向き合う人】

 【死と向き合う人】

先週末に、10年ほど前までお世話になっていた

ある経営者の方からご連絡を頂いた。


そして昨日、緩和ケアセンターを訪ねた。


自身の死と向き合い、覚悟した人と接するのは久しぶりだった。

目がとても綺麗で、言葉に熱い想いが乗っていた。

いろいろと感じることの多いインパクトのある時間だった。



ここでの刺激をもとに、自分の中で様々なものが立ち上がってきた。


自身の生き方、人生の捉え方の整理ができてないと

死に直面した時に、これから先のことを心配してしまうかもしれない。

それは未練となり、力及ばぬこと・自分のコントロールの効かないことを

自分の思い通りにしたくなる葛藤を生ずる。

まさに人生の苦しみの構図である。


最後の残された時間にやるべきことは、それまでの人生を振り返ること。

一つ一つの出来事に、心の中で、

きちんと感謝を伝えること、謝罪をすること

そうした向き合いの中から、

一つひとつの出来事に愛おしさや 慈しみといったものが湧いてくる状態を味わうこと。

自分の人生に、新たな意味が生まれるかもしれない。


「走馬灯」は、私たちが 自身の人生の全てをふりかえることのできる最後の機会なのかもしれない。

その時、自分はどういう思いで、自身の人生の場面を見つめることができるのだろうか。


夏休みの最後の日に、慌てて宿題をするようなイメージが湧いてきた。


できれば、人生の最期にではなく、

節目節目のタイミングで振り返りができたら

豊かな人生につながるのかもしれない。


緊急事態宣言が解除され 、

今月から、世の中が元に戻ろうと動き出している感覚がある。

その2日目の昨日は、

様々な方々からご連絡を頂戴して、「動」を感じることが多かった。


そんな中での今回の訪問、死と向き合う内面の「静」の時間。

動と静、このバランスが難しいなぁ、と感じた1日だった。


『有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)へ帰る 一休み

 雨ふらばふれ 風ふかば吹け』 一休禅師

2020-05-30

【天災は忘れたころにやってくる】

 【天災は忘れたころにやってくる】

今回のコロナ禍も、東日本などの震災も

「未曾有」の出来事ではなく、

人類の予想をはるかに超える未経験のものでもない。


歴史上、何度も繰り返されてきている。

そして、先人はその教訓を後世に残そうと工夫してくれた。

津波避難の基準として「神社まで逃げなさい」といった伝承もそうだろう。


少なくとも、100年前のスペイン風邪の記録は詳細に残っている。

 「流行性感冒 「スペイン風邪」大流行の記録 」 内務省衛生局編/東洋文庫

手洗い・うがい、マスクをして、距離を取る。

営業制限等に加え、マスクの高値転売まで、

現在と同じことが起きていたという。


しかし、それでも、それらの教訓は活かせていないことが多いように見える。


100年に一度起こることに対する備えは、

効率の悪い無駄なコストであり、

生産性や効率等の成果を求める指向性とは合致しない。


科学的根拠のない言い伝えや伝承を信じて、

無駄骨を折るのはナンセンスに見える。


誰だって無駄なことはやりたくない。


そして、大きな災害が起きた時には、大きな被害が生まれる。


目先の効率を求めて、より大きな効率性を失っているのかもしれない。


旧約聖書のノアの箱舟を思い出す。

大雨の気配すらないのに、

よりによって山の頂に

大きな船をつくるノアとその家族を、

周囲の人々はどのように見ていただろうか。


まったく合理的ではないその行為は

控えめに言っても

好奇の目で見ていたことは想像に難くない。


むしろ嘲笑の対象だったかもしれない。


歴史を通して、人類は同じことを繰り返してきている。

その良し悪しは分からない。


大きな被害は悪かった面だろうが、

無駄なことはしない効率性を求めることで

少なくとも災害と災害の間の期間は幸せに暮らすことができたとも思う。


私たちは

・これまで[過去]にどんなことをしていたら(Do)良かったのか

・これから[未来]どうしたら(Do)良いのか

を考えることはあるが、

・今回の出来事を通して、自身の中で何が起きたのか

・(教訓として)何を得たのか・学んだのか

・自身の人生で大切にしたいこととして、何を加えるのか

といったことに対してはあまり意識を向けない


もし、数多の賢人が語るように

「起こること(体験すること・遭遇すること)には意味がある」とするならば、

自身にとってのその意味や価値を探究しなければ、

繰り返し似たような経験をすることになるのではないだろうか。


個人であっても、組織であっても、社会であっても・・・


あっ!ここまで思考を巡らせてきて、気付いた。

人類は同じことを繰り返し経験してきている!!

ということは・・・


わたしたちは、

今回の一連のコロナ禍を通して、

どんなことを体験したのだろうか

そこには、どんな意味があったのだろうか?

私は、どんなことを得て、何を大切にして生きたいと思っているのだろうか。


6月に入れば、「元に戻ろうとする活動」が

少しずつ社会全体に広がるだろう。

と、ぼんやりとした思いから、

思いがけず広がった5月末の思考のあそび。。。

2020-05-24

在宅ではなく働いている人たちがいるお陰

 在宅ワークが成り立つのも、在宅ではなく働いている人たちがいるお陰


ここ1週間ほど、野菜の直売を手伝って、

午前6時台に、早朝の開店前のスーパーを何店舗か回っている


ケガでの入院のピンチヒッターなのだが、

これはとても良い気付きを得る機会になっている


朝早くから働いている人がたくさんいる

お惣菜作り、品出し、清掃・・・

生産者の人たちが直売の野菜を持ってきて、値付けしながら陳列

パンなど商品の配送トラックが入ってくる


ホントにオンライン化・リモート化できるのだろうか


医療関係、介護だけではない

スーパーなどの店舗や施設の清掃、交通機関の点検整備、

道路や電気ガス・水道をはじめとするインフラの整備・補修など

社会を下支えしているのは、現場で働いている人たち

社会は、完全リモートワークでは回らない


未来シナリオを検討する場では、

オンライン化IT化の流れがクローズアップされやすい


そういう面もあるだろうが、そればかりではない


良くも悪くも

「当たり前」のものは失って初めてその価値に気づくものだが

できれば、その前に意識を向けて、

足元を支えてくれる存在を大切にできるような自分でありたい


そんなことを思った日曜日の朝。。。

2020-05-22

意識が変わって組織が変わる、のだろうか?


よく、組織が変わるためには、(経営者や帰属する人の)意識が変わらないといけないと言われるが、
意識が変わって、行動が変わって、組織が変わったことって、どのくらいあるだろうか?

むしろ、変わらざるを得ない状況に追い込まれて、
やむなく対応していくことの方が多いのかもしれない。

困ったこと(=それまでの価値判断において)が起きて、
何とかしなければならなくなって、
*折り合いをつけるところを模索して
それに合わせて行動を変えていく

その結果、関係や物事の意味合いが変化して
組織(の中のパワーバランス)が変わっていく

現実には、こんな対応の流れが多いような気がする

*折り合いをつける=しかたがないと受け入れるための落としどころ

ーーーー
これを今回の一連のコロナ対応で考えると・・・

感染拡大防止のために接触を減らさざるを得ない

時差出勤、外出自粛、リモートワークに切り替えざるを得ない
オンラインでの打ち合わせ、会議などにせざるを得ない


状況を把握してない上司があぶり出されてくる
具体的な指示をすることができない上司が明らかになってくる

人間関係がぎくしゃくしていたチームは
オンラインになると、更に連携が悪くなる

チームがまとまっていたところは
オンラインになっても協力関係が保てる

結果が出ればいいだろう、という営業スタイルでは難しくなった
コツコツと手順を踏んで、裏方業務も含めて手堅く仕事をする人が重宝される
人物評価が変わる

リモートワークで動き出すと、オフィスを解約する会社も出はじめた
地価・賃料の高い都心の一等地にオフィスを構えることへの疑問が生まれた

そして、更にこの先は
リモートワークとリアルの折衷スタイルがスタンダードになるかもしれない
時間で働く制度から、業務タスクの達成への報酬に変化していくかもしれない
ーーーー

意識が変わって組織が変わったというより、
外的な要因に対応するために、変わらざるを得なかった、という印象が強い

変わるためには、通常業務に加えて、変革のための取り組み業務が発生する
変わらなくても回るのならば、リスクを冒して変わることへの取り組みはしない

効率化が求められ、限られた人員・限られた時間の中で業務に携わっている現場では、
変化のために労力を割く余裕はない

効率化とは、現状最適の状態をつくること
効率化が、変化を妨げ、硬直化を生み出していないだろうか







2020-05-19

古いノートパソコンをChromeBook化!

CloudReady(クラウドレディ)

古いVistaのノートパソコンを、何とか活用できないだろうかと、以前からLINUXへの切り替えを考えていた。

しかし、そんな趣味的な取り組みには、なかなか時間を割けずに放置状態になっていた。

2020年3月
コロナによる外出自粛での自宅時間を使って、少し調べてみると、どうやらChromeBook化が使い勝手もよさそうだ。
で、Neverware社のCloudready(クラウドレディ)を導入することにした。

手元に適当なUSBメモリが無かったので、空いていたSDカードにダウンロードしたアプリを入れるところまでは何とかできたが、SDカードからのPCブートはできなかった。

BIOSをいじっても、メモリカードリーダーに差し込んでUSBでつないでも、うまくいかない。

時間の無駄だと、断念。
そのうちUSBメモリを買ってきてやろうと思っていたが、USBメモリ1本だけをネットで買うのもためわれて、そのままになってしまった。

1か月以上間が空いたが、GW明けに店頭でUSBメモリを購入。
インストールアプリをダウンロードして、USBメモリにセッティング。

古いノートパソコンなので、WifiのOn/Off切り替えスイッチがあることを忘れていて、何度やってもWifiに接続できなかったり、言語とキーボードの配列を日本語に切り替えられなくて、@を入力するのに苦戦したりと、紆余曲折はあったが、何とかUSBメモリからの起動は上手くいった。

GoogleChromeでネットの閲覧は問題なく行えるし、Youtubeも大丈夫!
しかし、USBメモリから内臓HDDにインストールしようとすると、最後にエラーが出てインストールできない。
何度繰り返しても同じ症状なので、Webで対策を検索したが、参考になるような情報はなく、やむなく断念。

やや動作が重い感じだが、USB起動で使えるのだからそれで良しとしよう、と割り切った。


それから10日。少し時間ができたので、再度挑戦してみることにした。

USBからの起動は問題なくできた。言語やキーボードを設定して、内蔵HDDへのインストールを開始。しばらく放置していたら、電源が落ちていた。
これまでのエラーの時には、電源が落ちることはなくエラーメッセージが表示されていたので、もしかしたら、今回は期待できるかもしれない!

USBを抜いて、再度電源を入れると、何と問題なく立ち上がった!
いったい何が問題だったのだろう、と思うくらい円滑に進んだ。

再起動してみる。
問題なく立ち上がった!

ChromeでのWeb閲覧もYoutubeも、
USB起動で使うよりもはるかに快適に使える(^^)



Windows10の時代に、
10年前のVistaのノートパソコンが現役で使えることにちょっと感動!
ChromeBook 1号誕生!

もうちょっと早くやっておけば、
学校休校でオンライン学習が必要だった姪っ子たちの助けになったかも。。。
そう思うと、ひと足遅かったかなぁ ><

どの程度まで使えるもなのか、
しばらくは使いながら模索かな。。。。

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備忘のためのメモとして・・・
●インストール前に
・BIOSでUSB起動ができる設定に変更

●インストールの途中で
・Wifi設定
・言語とキーボード設定

●終了後に
・PluginでAdobe FlashとMediaComponentsを追加
・Googleドライブがオフラインで使えるように拡張機能を設定
・メモリ不足対策でスワップ領域の設定
 (データを一時的にハードディスクへ保存)
※「Ctrl」+「Alt」+「T」 でShell「Crosh」を起動、「swap enable 2000」エンター

【10月スタート】2つのダイアローグの取り組み

 10月からダイアローグ(対話)の2つの取り組みをスタートします 仕事以外にこんな活動もやってるよ、というご案内と、10-12月はちょっと忙しくなるかも、という言い訳を兼ねて。以下、長文です。 ライフワークのように取り組んでいるダイアローグ(対話)に関して、来月から2つの取り組み...