【死と向き合う人】
先週末に、10年ほど前までお世話になっていた
ある経営者の方からご連絡を頂いた。
そして昨日、緩和ケアセンターを訪ねた。
自身の死と向き合い、覚悟した人と接するのは久しぶりだった。
目がとても綺麗で、言葉に熱い想いが乗っていた。
いろいろと感じることの多いインパクトのある時間だった。
ここでの刺激をもとに、自分の中で様々なものが立ち上がってきた。
自身の生き方、人生の捉え方の整理ができてないと
死に直面した時に、これから先のことを心配してしまうかもしれない。
それは未練となり、力及ばぬこと・自分のコントロールの効かないことを
自分の思い通りにしたくなる葛藤を生ずる。
まさに人生の苦しみの構図である。
最後の残された時間にやるべきことは、それまでの人生を振り返ること。
一つ一つの出来事に、心の中で、
きちんと感謝を伝えること、謝罪をすること
そうした向き合いの中から、
一つひとつの出来事に愛おしさや 慈しみといったものが湧いてくる状態を味わうこと。
自分の人生に、新たな意味が生まれるかもしれない。
「走馬灯」は、私たちが 自身の人生の全てをふりかえることのできる最後の機会なのかもしれない。
その時、自分はどういう思いで、自身の人生の場面を見つめることができるのだろうか。
夏休みの最後の日に、慌てて宿題をするようなイメージが湧いてきた。
できれば、人生の最期にではなく、
節目節目のタイミングで振り返りができたら
豊かな人生につながるのかもしれない。
緊急事態宣言が解除され 、
今月から、世の中が元に戻ろうと動き出している感覚がある。
その2日目の昨日は、
様々な方々からご連絡を頂戴して、「動」を感じることが多かった。
そんな中での今回の訪問、死と向き合う内面の「静」の時間。
動と静、このバランスが難しいなぁ、と感じた1日だった。
『有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)へ帰る 一休み
雨ふらばふれ 風ふかば吹け』 一休禅師
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