◆2つのメモ◆
部屋の書類を片付けていたら、古いメモが出てきた
こんなことを感じていた・考えていたんだと、
我がことながら刺激を受ける
●ラマナ・マハルシに関するメモから
「本当の私はこれではない」
「これは誰か」「私は誰か?」
「私はあなただ」
自分の中にある複数の「私」に向き合うきっかけになった。
いつもできるわけではないが、
「いまの私は本当の私か?」「いまの私は誰か?」と自問することで、
流されている自分自身に気づけることも多い。
そして、そう問いかける「私」の存在を感じる。
●2016年南小国でのBeingSOLOの振り返りメモより
「五感の刺激による思考の反応(反射)を閉じて、
流れているエネルギーを感じることも閉じると、
空洞の何もない自分を感じる(断絶)」
「五感の刺激による思考の反応(反射)を閉じて、
エネルギーの流れに感性を開くと、
穏やかな充足感・至福感(自然とのつながり)」
「私自身だけ」をいくら探究しても、そこからは何も出てこない
関りとつながりの中で、
意味ある存在として立ち上がってくるものがあることを実感として体験する機会となった。
そして、これは意識を向けることで、もう一度再体験できるメモだった。
2016年は熊本地震があった年。
私にとって3回目のBeingSOLOの体験は、
前年と同じ山での実施だったが、
現地に至る山道は地震で崩れたままで、
大きく迂回して入った。
開始前には阿蘇山が噴火し、
腰痛に苦しみながらの参加で、
初日の夜は激しい雨だった。
それでも前2回とは違う意味を持つもので、
目を閉じて意識を向けると、
今でもその時の情景と感覚が鮮明によみがえる。
2010年、
「出現する未来」や「シンクロニシティ」(ジョセフ・ジャウォースキー)に描かれた野外体験に魅かれながらも
「それを体験することは無理だ」と思っていた。
不思議な巡り会わせで、
2014年に奥多摩でのBeingSOLOに初参加、
翌15年と16年は熊本・南小国での体験。
毎回気付きが深まっていった。
こうして、10年越しに振り返ってみても、不思議な感じがする。
久しぶりに「シンクロニシティ」を読んでみようかな。。。
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