4月1日11時半過ぎたころ
「そろそろですかね~」と隣の席から声がかかる。
「あぁ、もうそんな時間。混まないうちに、少し早めにお昼に行こうか」
「違います。新元号の発表ですよ」
その少し後に、新元号は「令和」と発表された
新元号にはほとんど関心がなかったので、 勘違いしてしまって
ちょっと恥ずかしい、こんなやり取りになってしまった
しかし、いざ目にすると、途端に関心が向く。
「『令和』、命令の『令』か・・・」
正直なところ、違和感が先に来た
直ぐに字源で「令」の意味を調べる
原義は「(神からの)お告げ」
恐らく、そこから転じて
①上位者による指示(命令)
②良いこと(令息、令嬢)
の意味が派生したのだろう。
やがて原義は忘れられ、派生した意味だけが残っていくのは、世の常か。
出典は、万葉集とのこと。
大宰帥(だざいのそち)大伴旅人の邸宅で
梅花の宴に際し、詠まれた歌の序として記されたという
福岡に縁ある者として、何となくうれしい気持ちになる
出典の意味を調べていると…
福島県の郡山万葉植物園には、この出典が表記された標示板があるみたいだ。
さて、防人(さきもり)の詩でも知られる万葉集の時代は、
朝鮮半島からの侵攻に備えて、防人が配置された
基肄城、鞠智城などの古代山城や施設が設けられた時代
昨今の日韓関係が重なって見えるのは気のせいだろうか
Wikipedeiaによると、実際に8世紀から10世紀の初めにかけて、
しばしば新羅の海賊が九州を襲った(新羅の入寇)ようだ
「『和』の時代になるよ、というお告げ(『令』)」であって欲しいと願う
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