2020-10-23

オンライン/リモート カラダを緩める

 縁あって先週は、ある国立大学でキャリア・デザインをテーマに

オンライン講義を担当させていただいた。

断続的にではあるが15年以上、

首都圏や関西圏を中心に様々な大手企業で実施してきたキャリア・デザインの研修経験に、

組織開発・人材開発の視点を織り込んでの内容構成。

大学内のキャリアの取り組みとは異なる切り口が新鮮だったようで、

担当の先生にも喜んでいただけたように思う。


そんな慣れない学生対象の講義をやったせいか、

先月から今月前半にかけていろいろとタイトだったせいか、

頸肩周りがガチガチになってしまって先週後半にダウン><


オンライン/リモートの時代に、

なかなかデジタル・デトックスというわけにもいかず・・・

まずは緩めてほぐそうと、気功体操やウォーキング、岩盤浴&温泉など

自分でできることをいろいろと試している。


先週土曜日から今日までに歩いた距離は約45Km。

毎回、足の向くままコースも様々に1回5-7Km、1時間程度。

7日間でマラソン1回分程度だが、それまでほとんど運動してなかった身にすれば「急激な大変化」、がんばりすぎてるかもしれない。


それでも、空の色の変化に雲の流れ、

カラスや雀だけでなく名前も知らない様々な鳥の声、

足の裏が大地と接する感触、風の中に感じる土や水の香り・・・

良い時間になっている。


五感に刺激されて、思考が勝手にいろんな方向に走り出すこともあるけど、

そういう時は鳥の声が耳に入らないし、足の裏を感じていない。

ハッと気づいたら、意識を戻して「いま」「その場」の流れに身をゆだねる。

そんなことを繰り返している。


そんなこんなで、やや痛みはあるけど頸も回るようになったし、体調もよくなってきた。

しかし、悲しいかな「喉元過ぎれば熱さを忘れる」傾向があるので、

果たして適度な運動を継続できるかどうか・・・



写真は今朝のウォーキングの時。

川沿いのススキは新鮮だったが、

濃い黄色のセイタカアワダチソウの群生には少なからず違和感。

外来種という先入観があるのかもしれない。。。思考は感情に影響する

2020-10-10

組織の支援、ピークを越えたかな。。。

 久しぶりの散歩、路傍のコスモス


肥大化する組織の一体感を生み出し、

今後3年程度の具体的な取り組みを検討するための支援が、昨日で山場を越えた。


取り組みはじめて約1年。

6月から本格化して、2日間のワークショップ×3回+毎月1回の1日ミーティング。


前後の打ち合わせのためのオンラインのミーティングや資料作り、

アウトプットの整理作業なども含めるとかなりの工数だったが、

メンバーの晴々した表情から一定の達成の手応えを感じる。


こちらがコントロールして運ぶよりも、

信じて委ねて主体的に動いてもらえる環境を作った方が

納得感・満足感の高いアウトプットに至ることを、改めて痛感する。



一人一人が違うように、企業組織の1社1社も異なる。

定石のパターンに当てはめて、対応しようとしても上手くはいかない。


しっかり相手に向き合って、積み重ねられてきた背景に思いを馳せながら、

丁寧に受け止めて愛情を持って最善を尽くす。

人も組織も同じなのかもしれない。


精魂尽きて、心身共に抜けにくい疲労感が残ってはいるが、

私自身にとっても現場実践ならではの新たな学びと気付きが大きかった。


終わったわけではないが、とりあえずピークは越えたかな。

2020-09-19

満席の飛行機

 出張を終えて東京からの帰路、

金曜夜や日曜夜ならともかくも・・・土曜昼の飛行機が満席!


しかも、乳児を抱えた若いご夫婦が何組も同乗。


コロナが収束したわけじゃないのに、

いったい何が起きてるんだろうと思いながら、

3人掛の真ん中の席でじっとしたままの移動時間。


今日は4連休の初日だったんだね。。。(^^;;


夏に帰省できなかった人たちが、

子どもの顔を見せに連れて行ってるのかもしれない、

と考えると少し状況を呑み込めた。

2020-08-21

◆2つのメモ◆

 ◆2つのメモ◆

部屋の書類を片付けていたら、古いメモが出てきた

こんなことを感じていた・考えていたんだと、

我がことながら刺激を受ける


●ラマナ・マハルシに関するメモから

「本当の私はこれではない」

「これは誰か」「私は誰か?」

「私はあなただ」

自分の中にある複数の「私」に向き合うきっかけになった。

いつもできるわけではないが、

「いまの私は本当の私か?」「いまの私は誰か?」と自問することで、

流されている自分自身に気づけることも多い。

そして、そう問いかける「私」の存在を感じる。


●2016年南小国でのBeingSOLOの振り返りメモより

「五感の刺激による思考の反応(反射)を閉じて、

 流れているエネルギーを感じることも閉じると、

 空洞の何もない自分を感じる(断絶)」

「五感の刺激による思考の反応(反射)を閉じて、

 エネルギーの流れに感性を開くと、

 穏やかな充足感・至福感(自然とのつながり)」 

「私自身だけ」をいくら探究しても、そこからは何も出てこない


関りとつながりの中で、

意味ある存在として立ち上がってくるものがあることを実感として体験する機会となった。

そして、これは意識を向けることで、もう一度再体験できるメモだった。


2016年は熊本地震があった年。

私にとって3回目のBeingSOLOの体験は、

前年と同じ山での実施だったが、

現地に至る山道は地震で崩れたままで、

大きく迂回して入った。


開始前には阿蘇山が噴火し、

腰痛に苦しみながらの参加で、

初日の夜は激しい雨だった。


それでも前2回とは違う意味を持つもので、

目を閉じて意識を向けると、

今でもその時の情景と感覚が鮮明によみがえる。



2010年、

「出現する未来」や「シンクロニシティ」(ジョセフ・ジャウォースキー)に描かれた野外体験に魅かれながらも

「それを体験することは無理だ」と思っていた。

不思議な巡り会わせで、

2014年に奥多摩でのBeingSOLOに初参加、

翌15年と16年は熊本・南小国での体験。

毎回気付きが深まっていった。



こうして、10年越しに振り返ってみても、不思議な感じがする。

久しぶりに「シンクロニシティ」を読んでみようかな。。。

2020-06-20

プログラム作りの苦悩

仕事がら、研修やワークショップのプログラムづくりに携わることは少なくない。

過去の使いまわしはしたくない
目的から考えて、最も納得できる形を模索したい

そういう姿勢は誇りでもあるが
非効率で時間がかかる作業を選択することでもある
面倒でエネルギーを消耗する
逃げ出したくなる

切羽詰まって、追い詰められて、
逃げれない状態になった
やっと覚悟が決まる

エンジンがかかる
乗ってくる
先方との調整までの時間が迫る


そして、時間切れ
もう少し手を入れたかったのに・・・

先方に、直前まで微修正を重ねることを承諾いただく
結局、実施の直前まで徹夜に近い形で
修正を重ねていく

この繰り返し

実施が終わると
蓄積した疲労とエネルギー切れ状態


時間に余裕のある段階で取り組めばいいのだが、

しかし…まだ時間のある段階では、
別の案件に意識が向いていることも少なくない


並行して進まざるを得ないのだが
そんなに器用ではない

焦点が定まらないまま
気持ちだけ焦る時間が流れていく
なかなかプログラム開発に没頭できない


これが最大の原因

そして、いま
複数の並行案件を抱えながら
思考停止状態

どれも進まない

時間はまだある
が、刻々と少なくなっていく

逃げたくなって、こんな文章を書いている。。。

2020-06-03

【死と向き合う人】

 【死と向き合う人】

先週末に、10年ほど前までお世話になっていた

ある経営者の方からご連絡を頂いた。


そして昨日、緩和ケアセンターを訪ねた。


自身の死と向き合い、覚悟した人と接するのは久しぶりだった。

目がとても綺麗で、言葉に熱い想いが乗っていた。

いろいろと感じることの多いインパクトのある時間だった。



ここでの刺激をもとに、自分の中で様々なものが立ち上がってきた。


自身の生き方、人生の捉え方の整理ができてないと

死に直面した時に、これから先のことを心配してしまうかもしれない。

それは未練となり、力及ばぬこと・自分のコントロールの効かないことを

自分の思い通りにしたくなる葛藤を生ずる。

まさに人生の苦しみの構図である。


最後の残された時間にやるべきことは、それまでの人生を振り返ること。

一つ一つの出来事に、心の中で、

きちんと感謝を伝えること、謝罪をすること

そうした向き合いの中から、

一つひとつの出来事に愛おしさや 慈しみといったものが湧いてくる状態を味わうこと。

自分の人生に、新たな意味が生まれるかもしれない。


「走馬灯」は、私たちが 自身の人生の全てをふりかえることのできる最後の機会なのかもしれない。

その時、自分はどういう思いで、自身の人生の場面を見つめることができるのだろうか。


夏休みの最後の日に、慌てて宿題をするようなイメージが湧いてきた。


できれば、人生の最期にではなく、

節目節目のタイミングで振り返りができたら

豊かな人生につながるのかもしれない。


緊急事態宣言が解除され 、

今月から、世の中が元に戻ろうと動き出している感覚がある。

その2日目の昨日は、

様々な方々からご連絡を頂戴して、「動」を感じることが多かった。


そんな中での今回の訪問、死と向き合う内面の「静」の時間。

動と静、このバランスが難しいなぁ、と感じた1日だった。


『有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)へ帰る 一休み

 雨ふらばふれ 風ふかば吹け』 一休禅師

2020-05-30

【天災は忘れたころにやってくる】

 【天災は忘れたころにやってくる】

今回のコロナ禍も、東日本などの震災も

「未曾有」の出来事ではなく、

人類の予想をはるかに超える未経験のものでもない。


歴史上、何度も繰り返されてきている。

そして、先人はその教訓を後世に残そうと工夫してくれた。

津波避難の基準として「神社まで逃げなさい」といった伝承もそうだろう。


少なくとも、100年前のスペイン風邪の記録は詳細に残っている。

 「流行性感冒 「スペイン風邪」大流行の記録 」 内務省衛生局編/東洋文庫

手洗い・うがい、マスクをして、距離を取る。

営業制限等に加え、マスクの高値転売まで、

現在と同じことが起きていたという。


しかし、それでも、それらの教訓は活かせていないことが多いように見える。


100年に一度起こることに対する備えは、

効率の悪い無駄なコストであり、

生産性や効率等の成果を求める指向性とは合致しない。


科学的根拠のない言い伝えや伝承を信じて、

無駄骨を折るのはナンセンスに見える。


誰だって無駄なことはやりたくない。


そして、大きな災害が起きた時には、大きな被害が生まれる。


目先の効率を求めて、より大きな効率性を失っているのかもしれない。


旧約聖書のノアの箱舟を思い出す。

大雨の気配すらないのに、

よりによって山の頂に

大きな船をつくるノアとその家族を、

周囲の人々はどのように見ていただろうか。


まったく合理的ではないその行為は

控えめに言っても

好奇の目で見ていたことは想像に難くない。


むしろ嘲笑の対象だったかもしれない。


歴史を通して、人類は同じことを繰り返してきている。

その良し悪しは分からない。


大きな被害は悪かった面だろうが、

無駄なことはしない効率性を求めることで

少なくとも災害と災害の間の期間は幸せに暮らすことができたとも思う。


私たちは

・これまで[過去]にどんなことをしていたら(Do)良かったのか

・これから[未来]どうしたら(Do)良いのか

を考えることはあるが、

・今回の出来事を通して、自身の中で何が起きたのか

・(教訓として)何を得たのか・学んだのか

・自身の人生で大切にしたいこととして、何を加えるのか

といったことに対してはあまり意識を向けない


もし、数多の賢人が語るように

「起こること(体験すること・遭遇すること)には意味がある」とするならば、

自身にとってのその意味や価値を探究しなければ、

繰り返し似たような経験をすることになるのではないだろうか。


個人であっても、組織であっても、社会であっても・・・


あっ!ここまで思考を巡らせてきて、気付いた。

人類は同じことを繰り返し経験してきている!!

ということは・・・


わたしたちは、

今回の一連のコロナ禍を通して、

どんなことを体験したのだろうか

そこには、どんな意味があったのだろうか?

私は、どんなことを得て、何を大切にして生きたいと思っているのだろうか。


6月に入れば、「元に戻ろうとする活動」が

少しずつ社会全体に広がるだろう。

と、ぼんやりとした思いから、

思いがけず広がった5月末の思考のあそび。。。

【10月スタート】2つのダイアローグの取り組み

 10月からダイアローグ(対話)の2つの取り組みをスタートします 仕事以外にこんな活動もやってるよ、というご案内と、10-12月はちょっと忙しくなるかも、という言い訳を兼ねて。以下、長文です。 ライフワークのように取り組んでいるダイアローグ(対話)に関して、来月から2つの取り組み...