対話の場において、
語り手の話をどう受け取るか、聴き方について探究することはありますが、
「受け取らない」ことがテーマになることはあまりないように感じます。
聞き逃したり受け止められずに「受け取れない」ことはありますが、
自覚的に「受け取らない」ことを選択することはあるでしょうか?
私たちの日常生活の中の会話には、
相手への評価や判断、時に批判や攻撃的な表現が含まれることもあります。
質問の形を取っているけれども、相手を責めていることすらあります。
それらのすべてを真摯に受け止め受け容れていると、
聴き手の心に大きなダメージを生じることがあります。
ここで思い出すのは、ブッダのエピソード
「もし他人に贈り物をしようとして、
その相手が受け取らなかった時、
その贈り物は一体誰のものだろうか」
私たちは「受け取る」ことと同じように、
「受け取らない」ことを選択することも可能なのです。
対話の場において、
相手の基準で評価判断されて苦しく感じるのであれば、
「私は、今のことばを受け取れませんでした」
でも良いように思います。
また、相手の話を聴いた人は、
コーチングのように何かを引き出そうとする必要もないし、
自身の判断基準や価値観で
こうした方がいいとアドバイスする必要もないと思うのです。
「自分が同じ立場だったら、こうしたかもしれない」
「話を聴いて、こんなことを感じた」
と自分自身の中で起きたことを言葉にすることで、
語り手とは異なり視点や捉え方が広がっていく。
一見すると独白のように、各人が感じたことが並んでいく。
それらに触れて、お互いに自らの中に気づきが生まれる。
そこに、相手への操作的な意図や感情は不要ではないかと思うのです。
対話が極めて素朴でシンプルな形をとることができる場では、
一人ひとりの中に深い気付きが生まれるのかもしれません。
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