2021-06-27

「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ」(1) 第1章

昨日午後は、久しぶりにナラティヴの読書会に参加
今回から国重浩一さんの「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ Book 1」がはじまった。

積読が増えているので購入を見送っていただが、今回参加に合わせて注文。
午前中に届いたので、ザッとパラ見。

ナラティヴ・セラピーのワークショップの内容がまとめられている。
「あなたへの社会構成主義」よりはるかに読みやすいけど、視点の深さなど似た感覚がある。

今回の範囲は、イントロと第1章。

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「名前の持つ力はすごく強くて、詳細についてはほとんど知らなくても、名前を聞いたら何となく分かる」
ナラティヴ・セラピーの名前の由来を例として、 「『ナラティヴ』という名前から理解してそのまま議論を展開しようとしているように見受けられるものが多くある」「(その結果)かなり誤解されて伝えられた」。
名前から出発していろんなものを作り上げてしまうことへの警告、そこに内在する危険性についての指摘は実に鋭い!
先般コメントした「クリティカルシンキング」と「批判的思考」のことを思い出した。

「様々な事象から一般化し普遍化していく欲求は『個別ケースへの軽蔑的態度』(ウィトゲンシュタイン)」 という厳しい言葉の引用。
それに続いて、一括りにされた「薄い描写」で相手の事を分かったつもりになることなく、個別ケースの「豊かな描写」の語りを聴くことで、聴き手である私の中で人や問題に対する見方の変容が起こり、それが相手の変化を促す可能性があることを丁寧に説明されている。

また、被災地支援の事例から、聴き手の想像力が相手への関与の幅を狭めて、こちらの期待に沿った答えを引き出してしまい、語り手から語られることを制限することが示されている。語られる状況(文脈)は、語られる内容に大きな影響を与えるという。
オープンな問いかけをしているようでも、語り手からは「ここで話すべきことがどうか」を瞬時に判断した回答が出てくるということ。
これは日常生活の中で、無意識・無自覚に行っているので厄介だ!

ナラティブでは、人と問題を分けるが、問題が問題として存続し続けるのは、認識の枠組みによる。そして、問題にかかわる人々のやり取りにフォーカスするのではなく、その枠組みを支えている「舞台装置(世界観)」=「支配的ディスコース」を見ていく。
私たちは、目の前の現象に意識を奪われてしまうが、「それを引き起こしているモノは何か?」に焦点を合わせていくことが大切になりそうだ。

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わずか1章の内容だが、たくさんの刺激と学びをいただいた。


#ナラティヴ

#支配的ディスコース

#ウィトゲンシュタイン


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