3/13夜のインターベンション・スキルズ読書会より 備忘録として
●グループの発達段階
「コンサルタントが選択するグループの発達理論に関わらず、どのような発達段階にあるかは介入の深さに影響する」(p78「グループの発達段階」)
ということは、GPCは何らかのグループ発達理論を持っていることが前提ということになるのかな?という議論から、「発達段階に当てはめて見る」のは枠にはめ込んで決めるけて見るようで嫌だなぁ、といったコメントがありました。
グループの発達理論について、そのように思ったことはなかったので新鮮な切り口に感じたのですが、よくよくふりかえってみると、個人の発達理論に触れた時は同じように感じたことを思い出しました。
1)「発達段階に当てはめること」への抵抗感はどこから来るのか
・定義された「段階」にはめ込んで、対象を決めつけることの危険性への抵抗感
・「発達」という表現への抵抗感=未発達は劣り、発達した状態は優れているという暗黙の価値観
実際に、対象そのものを見ないで一般化した段階で評価・判断したり、発達した段階がすぐれているという価値観で捉えられていることも少なくないので、それに対して抵抗感を覚えるのはとても良く分かる気がします。
2)抵抗感がない状態では、どのように捉えているのか?
・すべての段階は、プロセスとして必要なものであり、その優劣はない
・「発達段階」は状態を表わすステージに過ぎず、変化していくもの
介入を考える上で対象グループそのもの状態を把握することは大切なので、その際に使用する把握するための発達理論(自覚的・無自覚的に関わらず)について、どのような理論を用いるとしても、といった意味合いではないかと捉えました。
捉え方が異なれば、介入(働きかけ)も変わってくるでしょうから、重要なポイントの一つではあるのでしょうが、いずれの理論を用いるにしても、初期の段階では「メンバー自身が安心の風土を生み出せるための時間をかける必要がある」とされています。
ファシリテーションにおいて、安心・安全な場づくりが大切にされることと似ていますね。
また、エドガー・シャイン博士は、「メンバーの面目をつぶすような介入は良くない」と語られています、とのコメントもありました。
ーーーー
言葉によって定義(分別)されなければ、認識することができない。
しかし、言葉の定義の幅は、使う人・受け取る人の人生経験によって、一人ひとり異なる。
そのため、同じ言葉を使ってコミュニケーションを図っても、齟齬が生じる。
言葉というテーブルの上に出てきた表現だけでなく、テーブルの下にあって相互に見えていない「違い」をテーブルの上に出すことができたとき、はじめてどこが食い違っていたのかが見えてくる。
見えてくれば、すり合わせることもできるし、自分とは異なる視点を感じてそこからのインスパイアされることもある。
しかし、この面倒な作業を避けてしまうと、相手に対する虚像が自身の中で膨らんでいき、理解し合えない関係になっていく。
そんなコミュニケーションの難しさに思いが向いた時間でもありました。
0 件のコメント:
コメントを投稿