「思うとおりにならない」
売上が作れない
部下が思うように動いてくれない
上司が理解してくれない
周囲から理解してもらえない
夫が、妻が、協力してくれない、理解してくれない
子供が勉強しない、言うことを聞かない
親が口うるさくてうっとうしい
私たちの周りには、思うとおりにならないことが数えきれないほどある。
それは、世界の政治や経済など手の届かない遠い世界での話ではなく、
日常に接する身近な世界での出来事。
だからこそ、苦しいし悩むことも多い。
そんな時は、何とかして
思うとおりに「ならない」ことが、
「なる」ように努力しようと試みる
「なる」ように努力しようと試みる
言葉で意思表示をすることもだろうし
実力行使に出ることもあるかもしれない。
あるいは、神社・仏閣への神頼みという形で努力することもあるかもしれない。
しかし、多くの場合、たくさんのエネルギーを投入しても
芳しい成果につながることは少ないようだ。
だからこそ、悩み苦しむことになるのだが。。。
さて、ここで少し視点を変えてみる・・・
「ならない」ことを「なる」ように、と努力してきたが、
「思うとおりに」について、どれくらい向き合ってきただろうか?
私が「思う」ことは、本当に「思う通りに」実現することが必要なことなのだろうか?
どれくらい大事なことなのだろうか?
そして、それはどうしてなのだろう?
「思うとおりになる」ことによって、実現したいことはどんな状態なのだろうか。
ここをしっかり見つめることで、
全く違った解決方法が見えてくることがあある。
私たちは、無自覚に「思うとおりになること」こそが、
最善の目的達成であると思っていることが多い。
しかし、実は、それは、何か実現したい状態(目的)を生み出すための手段ではないだろうか。
いつの間にか、その目的が意識されず、手段が目的になっている。。。
いつの間にか、その目的が意識されず、手段が目的になっている。。。
子供に勉強させたいのは、最終的には、将来の子供の幸せを願ってのこと。
「将来の幸せ」のために、「いま」親子の対立と不信、嫌な気持ちや不満といった不幸な状態を生み出していないだろうか?
売上を上げるのは、利益を確保して会社を存続させて、社会に役に立つ商品・サービスを提供して、お客様に満足を、関わる社員に満足や達成感、成長や喜び、そして生活していくための報酬を得てもらうためではないだろうか。
それがいつの間にか、社会に役に立つことやお客様の満足よりも売り上げそのものが優先し、関わる社員は疲弊していく状態になっていることが少なくない。
「思うとおりにならない」ことは、こういったことに気づかせてくれる絶好のチャンスかもしれない。
「ならない」ことに意識を向けるのではなく、
「思う」ことに向き合うことから始めよう。
2019年、年頭に浮かんできたことの1つを、ことばにしてみた。
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