本日の「インターベンション・スキルズ」読書会より
レディは、無意識領域への関わりについて次のように述べている。
無意識は、基本的な本能、動機、衝動、許されない願望の貯蔵庫だ。通常たやすく気づくことはできないし、グループプロセス・コンサルタントがこの領域に注意を向けることは適切ではない。そうすることはグループを混乱させ、グループのメンバーを傷つけることになるだろう。無意識のダイナミクスは、個人や集団精神療法といった専門領域の中で適切に探求されることだろう。(p71)
ここについてのダイアローグは、とても興味深く感じたので、備忘も兼ねて、手元メモを整理しておきたい。
ー 確かに、触れると混乱が生じたり、気づつけることが少なくない。
十分に気を付ける必要がある。
ー 組織開発の歴史をひも解くと、1970-80年代の感受性訓練(ST)が盛んだったころに、
十分に訓練されていないトレーナーによって、土足で無意識領域に踏み込むような
乱暴な介入が行われて、結果として少なからず負の遺産を生じてしまったことがある
ようだ。⇨ 日本における「組織開発」の衰退へ
レディは、それらを教訓として、治療前提で関わってはいけないという文脈で、
こう述べているのかもしれない。
ー 一方で、U理論で語られる「Uの谷をくぐる」ような場面では、少なからず
「無意識領域」に近いところを扱うことも生じている。
全面的に「取り扱わない」と断定するのもどうか。
「無意識領域」に近いところを扱うことも生じている。
全面的に「取り扱わない」と断定するのもどうか。
ー 組織開発の文脈で
・「カオスの縁(カオスのふち/edge of chaos)に至ることで人は変わる」
・「創造的な破壊」(現状を破壊する) → 過去の否定
といった表現が用いられることがあるが、これはかなり危ないと感じる
・「カオスの縁(カオスのふち/edge of chaos)に至ることで人は変わる」
・「創造的な破壊」(現状を破壊する) → 過去の否定
といった表現が用いられることがあるが、これはかなり危ないと感じる
ー 熱く強い想いを持っている人と深く話をしていくと、
「こうはなりたくない」「自分が辱めを受けた」など経験から、
その思いの裏に(義憤も含めた)「怒り」があることが少なくない
そうならないようにという思いから、
対象(組織や子供など)を「しつけたい」「(相手を)変えたい」
となっているかもしれない
しかし、何かそれは違うような気がする
「こうはなりたくない」「自分が辱めを受けた」など経験から、
その思いの裏に(義憤も含めた)「怒り」があることが少なくない
そうならないようにという思いから、
対象(組織や子供など)を「しつけたい」「(相手を)変えたい」
となっているかもしれない
しかし、何かそれは違うような気がする
ー 「無意識」はネガティブなものではないけれど、否定的な関り方をしてきたのかも
【所感】
相手を変えようとする働きかけには、「こちらは正しい」という暗黙の前提があるように感じる。それが、様々な問題を生じさせる根底にあるのではないだろうか。
こうして振り返りながら、仏教理論の末那識(まなしき)・阿頼耶識(あらやしき)という言葉が頭に浮かんできた。
もう少し探究してみたい領域でもある。
相手を変えようとする働きかけには、「こちらは正しい」という暗黙の前提があるように感じる。それが、様々な問題を生じさせる根底にあるのではないだろうか。
こうして振り返りながら、仏教理論の末那識(まなしき)・阿頼耶識(あらやしき)という言葉が頭に浮かんできた。
もう少し探究してみたい領域でもある。
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